気仙沼アマチュア音楽BOX 思い出ノート

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バトルライブ トピック削除
投稿日 2003/07/11 (金) 08:29 投稿者 あざら屋

1999年前後、気仙沼に沸き起こった野外ライブイベント。
複数のライブ団体に分かれて活動していた市内のアマチュアミュージシャン達が、団体の枠を超え、青空のもとでのライブを企画実行。
その後、年に1度開催され、様々な変遷を経て10年前後続いた。
今では伝説のライブとなっている。
 

 

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 バトルライブねえ。2 削除
投稿日 2009/10/20 (火) 10:39 投稿者 ルーブル美術館@坂本

まあ、2009年でこのトピを見る人達がどれくらいの人数になるか解りませんが、
一応書きますね。
趣味からビジネスに発展する過程で重要なのは、単なる個人的な趣味なのか
さらに趣味が発展をし多人数を巻き込み文化に発展をさせるのかが重要になる。
一時期福岡出身のバンドが数多く輩出された時期が有り、人口が多い
東京や大阪よりも福岡からのバンドが脚光を浴びました。
京都は又、他の地域と違いブルース系の実力バンドが輩出する傾向が有り
それはその地域にアマチュアバンドの文化が根付いている事実を物語っています。
他人の趣味を押し付けられる事に不快な感情を持つ事は当たり前で、尚且つ
その趣味が人前に出て演奏するレベルでは無い場合は、来ている観客に失礼であり
演奏をする曲目も、「他人に聞いて頂くんだ」と言う事を考えて曲目を
選択しなければならない。
アマチュアバンドに欠けている部分は自己責任を取らない。
観客を無視し来て頂いている観客に対して糞尿をまき散らしている
バンドが多い事は嘆かわしい事である。

http://web.me.com/beadwork/beadwork_inc/Welcome.html

 
 
 バトルライブねえ。 削除
投稿日 2009/10/20 (火) 10:22 投稿者 ルーブル美術館@坂本

このトピが2000年のトピで今が2009年です。
バトルライブはそれまでの既存のライブイベントが「手作り的」なイベント
になりがちで、それから脱却したいとの理念で開催をしました。
手作り的なイベントというのはどうしても見る側より演奏する側が独りよがり
になり観客も義理で来て見て帰るだけで文化が根付かない傾向になる。
せっかく新人のライブバンドが出ても自分達の演奏技術とパフォーマンスが
世間から見てどのレベルにあるかが解らないまま、演奏する側の単なる思い出作り
になってしまう事から文化に発展させる意味もあった。

 
 
あの時 君等は 若かった! 削除
投稿日 2003/01/27 (月) 16:09 投稿者 ピーチ

今ごろの かきこみですが、思い出したもので...?
思い起こせば十数年前 灼熱の太陽の下(だったような..?)
いつもは閑散としている商港岸壁で なにやらあわただしい
動きの若者たちが 揃いのTシャツを着てあっちへこっちへ
駆け足状態で走り回っているではありませんか。
その様子をわたしは 大島行きのフェリーから
鴎にかっぱえびせんをあげているオバサンの団体の横で
鴎の糞!!をよけながら眺めていたのです。
そして その数日後 今のダンナと知り合った訳です!
あのメンバーの一員とはつゆしらず...
そこで一言 あの頃、ダンナ..さんの、性格 雰囲気からして
バトルライブとは どーしても結び付かなかったのが現状でした。
それから 十数年 今でも時々 こいつは.じゃなくてこの人は
経済観念がない.とか思ったりするのですが、いろんな意味で
お互い様と言うことにしています。本題から横道にそれましたが..
あの時の みなさんも今は40前後 音楽から少し遠ざかった人
いまだに家庭を顧みず どっぷりつかっている人それぞれですが
音楽にうとい私にでも あの時の一生懸命なスタッフの姿は いまだに
心に 残っています。 カンドーシタ!!

 
 
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