ライブレポート

フリーウェイジャム 主催
アダルトロックショー   " SALE春 非難GO!GO!"
2000/3/12 開催

気仙沼アマチュア音楽BOX HOME

K−BOXスタッフでありますワイヤードクィーン(KMS所属)のCLEFさんから 当日のレポートをもらいました。
ちょっと私小説風で面白いと思います。
ふみのりくんがとった写真もまじえてごらんください。

写真をクリックすると大きなサイズのものが見れます
なお写真の人物と文中の人物は必ずしも一致するものではありません。



2000年3月4日土曜日午後6時、セブンイレブン松岩店駐車場。
これから迎える週末の夜に思いを巡らせてか、怪鳥のような声を上げている若者達の一団を横目に、
俺は運転席の妻に無言で別れを告げると、今夜の「アダルトロックショー」に同行する予定のH君
の車を捜した。H君は気仙沼でも指折りの個性的なバンド「アウトロウ」のドラマーだが、普段は
某病院に勤務する看護士であり、土曜日である今日は午前中病院での勤務を終えていて、いささか
の疲労感を漂わせながら車中で菓子パンをむさぼり食っていた。


「FWJのライブって初めてなんスよ」「誰と誰が出るんですか?」「明日も一日仕事なんです」
お世辞にも整理整頓が行き届いているとは言えないH君の車、それゆえ後部座席に乗せてもらった
俺は、BGMの迫力に悲鳴をあげる後部スピーカに悩まされながらも、矢継ぎ早に繰り出される彼
の質問にどこかうわの空で応えていた。
それもそのはず、俺の心はすでに1時間後には展開されるはずである旧知のミュージシャンらの
パフォーマンスと、彼等と久方ぶりに対面する自分についての事を考えるのが精一杯な状況だったからだ。


ほどなく車はもう一人今夜の同行者であるTさん宅に到着、彼女を拾うと一路今夜の会場である、
ホテル気仙沼観洋へと先を急いだ。
Tさんは俺のバンドの顔として期待にたがわぬ活躍をしてくれる稀代の女性ロッカーで、今夜の同行も
快く引き受けてくれていた。
車中ではネット上でのやりとりについてH君とTさんの会話が弾み出す。
「この3人でFWJライブに行くなんて意外だねー」
Tさんの言葉に俺は改めて確信した。
そう、今夜のライブは事前にHP上でのやりとりを経ており、我々KMS勢が鑑賞に赴くのは周知のはず。
それだけに今夜は是非メモリアルな夜にしようと・・・


ホテルに着くと、一旦近くに車を置いて来るH君を待つべく、俺とTさんはロビーへと入った。
明るい場所で初めて気づいたが、Tさんは素晴らしくラグジュアリーないでたちで、メイクにも
一段と時間をかけてきた様子がありありだった。
思いっきり普段着で来た自分をほんの少し後悔したが、それも遅れて入ってきたH君を見て杞憂へ と変わった。
何と彼は自らのグループのロゴマークが入ったジャケットに身を包んでいた。
ホテルのフロントの人達には一体どう写ったのだろう。
これじゃ出張ホテトルとその一味と思われても仕方ないなとの思いが一瞬脳裏をよぎった。


階段を下がり、今夜の会場である「魚花」に着くと、入り口前のフロアにはビートラスのKさんと Mさんが居た。
Mさんとは初対面だったが、Kさんとは何年ぶりかでの再会だった。
彼はバイオリン型ベースを抱え、本番前の最終チェックに余念なしと判断できた。
「あれKさん髪型変わったな」
と思いながら、その印象的なバイオリンベースに高校時代のバンド仲間の姿をダブらせてしまって いた。
またこれが「ポール」と呼ばれる所以かと確信しつつも、はて弾くのも左かなと新たな疑問が 湧いてくるのだった。

         入口・受付スナップ

おや?真ん中はPONZさんでは?

入り口を入るとそこには本当に懐かしい顔ぶれが揃っていた。
HPでいつもお世話になっているYさん、今回のチケットを手配してくれたK君、腐れ縁の同級生Y、
そして今夜のパフォーマンスで一番期待を寄せていた(一方的に思いこんでいる)俺のギターの師匠Mさん。
いずれも久しぶりに会う面々ばかりだ。
さらに奥にはFWJの「広報部長」F君、KMSとのかけ持ちをこなすO君、70年代の伝道師Aさん、
気仙沼ドラマー界の首領Kさん、郵政ロッカーのN君、そして「ちょんまげベーシスト」の印象も
いまだ鮮明なNさんの姿も。もう彼等の顔を見られただけで、演奏を聴く以前に満足してしまいそうに
なってしまう俺だった。


会場である「魚花」に入ったのは今回が初めてだった。
第一印象は「飲食ありのライブには適度な広さ」と感じた。
さらに客席というかボックスの配置がいわゆる「ひな壇」式になっているのにも好感が持てた。
そしてそのひな壇の最上部、一番奥のボックスに俺とTさんは今日のシートを確保した。
H君はといえば広告塔F君と話し込んでおり、そこにYの弟子でH君の同級生でもある唐桑出身T君も
加わって本当に賑やかだ。
俺とTさんは「まずは喉ごしらえ腹ごしらえ」とばかりに、さっそくビールをガンガンあおり、
周りのオードブルを手当たり次第に食べるのだった。
ひとつ離れたボックスには懐かしの「バトルライブ」実施の際に苦労を共にしたAさんとおぼしき方が
いたが、飲み食いしているうちに時宜を失して残念ながら話できずじまいだった。


ふと会場を見ると母親らしき女性と小さな子どもの姿が目につく。
出演者の奥さんが子どもを連れて来ているのだろう。
KMSライブには無い何とも家庭的な雰囲気も漂うライブになりそうだな等と考えていたら、
同級生Yが来て囁く。
「お前が来たからみんな緊張してる」「本気でやるから」
えっ?ちょっと待ってよ、俺は純粋に楽しみに来たんだぜ。別に何かを見極めようとか、白黒つけよう
みたいな感覚はないよ。
そう言おうと思ったが敢えて言葉を呑み込んだ。
どうせ久しぶりに拝見させて貰えるなら「本気で」やるとこ見せてもらおうじゃん。
でも楽しむよ、俺は。


午後7時、俺の予想を見事裏切りFWJライブ「Sale春、非難Go!Go! アダルトロックショー」は
定刻通り始まった。
会場はほぼ満員、酒もたっぷりある。
バンドのパフォーマンスをサカナに盛り上がろうという純粋なオーディエンス(中には緊張感を
駆り立てる存在もいた事になるが)が見守る中、トップを務めたのは「フォークジャンボリーズ」。
その名前、そして3人並んだ中央で圧倒的な存在感を醸し出しているYからして、もっと古い
フォークソングをやるのかと思ったら、何だこれは、納豆そら豆ピーナッツ、何とすごいプロみたい。
NSPじゃないか! やられたぜY!
俺が中学生になって初めて弾けたギターが「スケッチ」だったという事を憶えていたのか。
しかも真剣にやっている。う〜ん、これが彼の言う「本気」なのだろうか。

     フォークジャンボリーズ

軽い驚きを持ちつつ見ていたら、ある事に気が付いた。
T君ギターめちゃめちゃ良い味出してます。
休みのないオブリガードは、ともすればしつこく耳障りになる危険をはらむものだが、
それが全然感じられないのだ。
隣のH君も「T〜上手いなー」を連発。
秘かに注目していた彼の歌唱力もハモリを通して気持ちよく響いてくる。
ベースのK君は相変わらず普段は考えられないシャイな所作をステージでは露わにしているが、
しっかりとリズムを刻んでいる。
申し訳ないが正直言って予想は完全に裏切られた。
聞けば前回はかなり強烈なステージを展開したそうであるが、今回に限っては「おちゃらけ」を
極力抑えたトラディショナルなステージだったと言えるのでは? 
ただし、例の「貴乃花の勝ちィ〜」にはまったく無防備だった分、人目もはばからず大笑いしてしまった。


続いて登場は「シミセンズリックス」。
師匠Mさん、Mさん宿命の女房役Nさん、そして70年代を今に伝えるAさん。
この3人組こそ昨年末のFWJを見逃して最も後悔を募らせたユニットである。
何に期待するかと言えば、師匠のMさんがその本領であるブルース系ハードロックを存分に聞かせ
てくれるのが明白な所以外の何物でもない。
思えばステージで師匠と並んでギターを弾くのが日常という日々があった。
それが無くなってもう十年あまりにもなるが、あのころどんなに努力しても超えられなかった偉大な
ギタリストが久しぶりに目の前で本物のパフォーマンスを展開してくれる。
そう考えるだけで俺は自らがステージに臨むような緊張感に包まれた。

     シミセンズリックス

Mさんとは83年から89年までの6年間を「80年代の覇者」とも自負するスプリンクラーで活動を共にした。
トリオ編成で始まったスプリンクラーのステージを初めて見たときの衝撃はいまだに俺の中では
永遠の課題とも言える一種トラウマのような存在である。
もちろんその最大要素は高校時代以来久々に見たMさんのギターワークであり、ステージングであり、
全身に漲るロックスピリットだったのは言うまでもない。
早速俺は知人を通じスプリンクラーへの「入門」を懇願、「面接試験」では何を答えたかも記憶にないが、
ただひとつ次の「実技試験」に向け「速く弾く練習してこい」と言われたのは鮮明に記憶している。
その後一週間、俺は寸暇を惜しんで速弾き練習に没頭した。


晴れてスプリンクラーに加入できた俺は、Mさんから数多くの事を学んだ。
それはギターに限らず音楽ひいてはミュージシャンとしての生き方そのものにまで影響を落としたと
言っても過言ではなかった。
事実現在の自分のバンドを音楽的にもいわゆるマネージメント的な部分においても何というか
「まとめ役」を担っている自分のベースは、明らかにスプリンクラー時代に培ったものであることは
間違いない。
こういった意味でギター弾きそしてミュージシャンとしての俺に多大な影響を与えたのがMさんであり、
ゆえに俺は親しい音楽仲間にはMさんの偉大さを説いてきていた。


そして師匠のギターは吠え出した。
今回最も俺のロックスピリットが振り切れた瞬間が訪れたのだ。
それはどの曲のどの部分でもない。Mさんの「ギタートーン」これだ。
打ち上げの時F君やYとも話したが、俺達は演奏開始前にトーンを確認するためC、G、Aといった
コードをジャランと弾く。
しかしM師匠は違うのだ。
セブンス(たぶんE7だろう)コードを叩きつけるようにガーッとやるのだ。
そして間髪を入れずに素早いリックスを2,3発入れるのである。
師匠はジミヘンを意識しているのかも知れないが、俺はどこか昔のジェフベックを見ているような
感覚がしてならない。あとCharにも通じる部分があるか。
とにかく師匠のひと弾きで完全に俺はキレたのである。


20年前、仙台にジェフベックを見に行った際ミニテレコで隠し録りをしてきた。
持ち帰って聞いてみると「くあぁーっこいいぃぃー!」に始まり、終始自分の絶叫のみで肝心の演奏が
聞き取れなく友人達のひんしゅくを買った事があった。今回の俺があの時と同じようにテレコで
隠し録りをしていたら、結果はまったく同じになっていただろう。
師匠Mさんは期待通りのパフォーマンスを見事に展開してくれて、俺は叫び、飲み、泣いた。
思えばスプリンクラー時代に師匠がトレードマークだった白のストラトキャスターを持たなくなって以来、
14年ぶり位に見るハードロックギタリストMさんの勇姿だった。
もちろん師匠をサポートするNさんAさんのリズム隊も終始完璧、Aさんに至っては今まで見た中で
最高のパフォーマンスに見えた。
終盤にはO君が加わり「スティーラー」を披露、ロックの往時を偲ばせる最高にイカしたバンドであった。


続いては「ペンタトニックメッセンジャー」。
ここはドラマーのロングトールT君が欠席だった。
結果的にF君とYのコンビによるステージとなったが、ここではTさんの言葉を引用しておきたい。
「彼等は切っても切れない運命の糸で結ばれているの。変な意味じゃなくて生涯の伴侶たる関係」。
まさに言い得て妙。かつて2人と同じバンドに在籍していた彼女は感慨深げに言っていた。
彼等はクラプトン教の信徒であるのはもちろん、気仙沼アマチュアバンド界で1,2を争うひょうきん者、
ムードメイカーとしても相通じる部分があるのだろう。
ステージはもちろんクラプトンのカバーを彼等なりのアプローチで披露していた。
この頃からオーディエンスも酔いが回ってガヤガヤし始め、我れらがボックスにも入れ替わり立ち替わり
酔客や友人が押し寄せてきたが、俺はしっかりと堪能したのだった。

         ペンタトニックメッセンジャー

次は「ランプシェード」。
ラインナップを見て俺は喚声をあげた。
な、何と陸前高田のY君がいるではないか!
Y君といえば一時期俺が岩手気仙地方のバンドシーンに「修行」に出た際、井戸の中の蛙が大海を
知ったように「速弾き」において初めて挫折を味わった時の張本人である。
会場で「よく似た人だな」と思っていたが、まさか彼がここに居るなど予想不可能だったので、
ギターを抱えて出てきた時には本当に驚き、喚声をあげてしまったのである。
そうかHP掲示板であざら屋さんが書いていた「O君」というのはボーカルのO君じゃなく、
ギターのO君だったのかと、そこで初めて気づいたのだった。

        ランプシェード

フロントにO君、F君、Yさんのギタリスト3人が並んだランプシェードは軽快なビートに乗って
流麗なギターバトルを聞かせてくれた。
それぞれバックボーンを異にする3人が織りなす演奏にはロックにはない「穏やかな緊張感」が漲り、
時折聞かれたクォーターチョキングが程良く奏功してジャズフィーリングにどっぷり浸からない、
ジャズ素人の俺でも十分見応えのあるステージだった。
惜しむらくは全員が座ったまま弾いていたので、たぶん奥の方に居たオーディエンスは「見る事」が
大変だったのではないだろうか。
俺はTさんの脇の壁のガラスに映るシルエットを見つめていたので久々に見るHPマスターYさんの
プレーもバッチリ拝見できたのだった。


ランプシェードのステージが終わらぬうちに、限界に達した俺はトイレへと立った。
トイレにはYが居て、用を済ませたあと2人で魚花入り口前のフロアのベンチで話し込んでしまった。
Yは本当に音楽(バンド活動)を通じてのどんちゃん騒ぎが大好きな男で、しきりに新たなどんちゃん
騒ぎの拠り所、セッション的な活動をしようと持ちかけてきた。
12年前俺とYは13人編成という大所帯セッションバンドでヤマハポプコンに出場した経験があり、
彼にとって(もちろん俺にとっても)忘れじのエピソードを数多く排出した思い出深いバンドであった。
あの一時期があったから俺とYの関係も途絶えることなく続いていると言っても過言ではない。
さらに言えばあのセッションバンドがあったから今現在結成され活躍しているバンドもあるほどだ。
そういう後々まで良き思い出が残るバンドは案外一時的なセッションというスタイルを取る方が良いのかも
しれない。最近の例で言えば昨夏の「みなとまつりスーパーバンド」あたりか。
そんな感じのセッション的な交流を彼は望んでいるのだと俺は受け止めた。
こういうスタイルは機会があれば是非やってみたいものだ。


Yと話し込んでいると、そこにTさんが加わってきた。YとTさんもまた長い付き合いであり、
そういえば初めてTさんのステージを見た時(これは後にも先にも女の子だけで編成された社会人バ
ンドとして俺が知るのは彼女達だけである)俺は外ならぬYに連れられて見にいったのだ。
さらに今日は出演しないが、先のみなとまつりスーパーバンドで暑い中ともにトラック上で頑張った
郵便局員のN君も加わり4人でまたたわいもない話題で盛り上がるのだった。
話の中で驚いたのは会場について、管理されている方が俺のバンドのベースのいとこさんである事、
会場使用の費用が変動制であることの2点であった。
何だ、例えば2バンド競演でも可能なんじゃない!

    ビートラス と 盛り上がるお客さん

やや長く話し込んだ挙げ句、やっと会場に戻るとそこはビートラスワールド最高潮の世界だった。
結果的にラスト2曲、いや1.5曲しか聴けなかったが、さすが地元以外にも遠征するほどの素晴
らしいステージだった。客の煽り方等、基本的な部分で参考になるとはTさんの弁。
師匠Mさんも、先般のブルース系ハードロッカーとはまた違ったいい味を醸し出していたのが印象的だった。
基本的に俺は本家ビートルズを真面目に聞いたことが一度もないので、内容的な部分は何とも
書けないが、会場の盛り上がり方を見る限り、名実共に地元を代表するバンドというのは体感できた。


ライブは終了した。
オーディエンスは続々と帰途につき、出演者達は撤収作業に没頭している。
これだけは何処も変わらぬおなじみの風景だ。
俺と同行してくれたH君は明日も病院が当番医との事で帰ると言い、Tさんも送ってもらわれながら
行くという。彼等の眼に今夜のFWJライブがどう映ったかは解らないが、少なくともKMSライブとは
違った何かを感じた事は予想に難くない。
それはまた折を見て直接聞いてみたいと思っている。


さて俺もそろそろと思っているとF君から二次会へ誘われる。
K君、Yも来いよと言ってくれるので、「最後まで行くか」と決心する。
撤収は瞬く間に完了、今回の幹事役とおぼしきK君がシメて一行は二次会へと向かうのだった。
俺はK君の車に同乗させてもらい「呑ぐ里」へと向かった。


二次会はまずその参加人数の多さに驚いた。
いわば今夜は「部外者」である俺が、座に加わっても良いのだろうかと思うほどの盛大な二次会だった。
しかも俺は脇にF君、正面にYという賑やかなポジショニングを余儀なくされ、今夜の余韻に浸る
間もないほど大騒ぎの渦中に入ってしまった。
意外だったのは俺とM師匠の間にいらした方。ライブ中は会場で一番良いノリを全身で表現されて
いて、Tさんが「H君のむこうの人ノッてるねえ」としきりに見入っていた方だが、なんとMさん
の紹介で高校時代の部活のC先輩だったのが判明、あまりの変わり様に驚いてしまった・・・。
話は前後するが乾杯の時には「一言もの申せタイム」を設定されてしまったが、FWJ諸氏の迫力
に圧倒され、満足な事は言えなかった。
FWJの皆さん、本稿を読んで感じ取って下さい。


一行はさらに三次会へと向かう。もちろん俺もくっついて行った。
さすがに三次会ともなると出演した皆は一様に疲労感を露わにしていた。
俺はここでNさんと話し込んでしまう。
Nさんとは先述のスプリンクラー時代に共演、さまざまなエピソードを懐かしく思い出し話し合った。
Nさんと言えば鼎ヶ浦高校軽音楽班でベースについての教鞭を取られているが、ここで俺はハタと気づいた。
私事で恐縮だが我が家の長女が来年同校の門を叩く「予定」である。
遺伝とは恐ろしいもので娘も中学2年でバンドに目覚めベースを担当している。
来年の入試に無事合格し入学となれば間違いなく軽音楽班へ入部するはずで、そうなればベース担当Nさん
の教えを受ける事となるのである。
俺はその旨をNさんに伝えたが、Nさんは時の流れの早さに目を丸くされていた。


帰りの車中、俺はあらためて今夜のライブの意義について自問した。
俺が音楽というかバンド活動を始めたのは娘と同じ中学2年の冬だった。年齢がバレてしまうが、
と言うことはもう20年以上もバンドに携わってきたことになる。
長い年月に渡り、音楽を通じ様々な人達と知り合い、共演し、楽しみを分かち合いながら、
よくぞ今まで続けてやってきたものだとあらためて思うとじつに感慨無量である。
もちろん今後もそれは継続されていくであろうが、今夜のライブ、というか旧交を温めることが
出来た貴重な時間は、これからのロックンロールライフに向けての大きな励みとなることは間違いない
だろう。そう考えると、今夜会場にいなかったさらに多くの音楽仲間たちも俺と同様の思いを持ったら、
さらに素晴らしい意義あるライブだっただろうとも感じた。
願わくばいつの日かサークルやユニオンといった概念を持たない、Yの言葉を引用すれば「純粋に音楽を
通してどんちゃん騒ぎ」を堪能できるようなライブが実現できることを期待し、それに向けて実践努力
を欠かさず意識して行こうと俺は決意を新たにした。
同時に今夜見聞きした結果も含め、恐ろしいまでの時の流れの早さをもあらためて痛感するのだった。


文 By CLEF

Photo By ふみのり



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